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「天守物語」

夜中にやっていた「ノイタミナ 妖」シリーズで「天守物語」を見たのがきっかけでした。
『泉鏡花』この字面も美しいペンネームだけは知っておりましたが、作品を拝見したことは皆無。
妙に心引かれたので小説を購入。
その美々しく洗練された繊細なまでの文章に陶酔。
そしてTSUTAYAで見つけた一本のビデオ「天守物語」しかも監督&主演がかの坂東玉三郎!!
「これを借りずにいらりょうか!!」と瞬時もためらわずレンタル決定。

「天守物語」。監督&主演:坂東玉三郎。1995年製作。
なんと玉さま、富姫と舌長姥の二役!!スタッフロール見るまで全く気づきませんでした・・・メイクってすごい。いえ、玲瓏とした美女とよぼよぼの老女を見事に演じ分けた玉さまの演技力が素晴らしい!
前半に出てくる猪苗代の亀姫が宮沢りえ。
真っ赤な姫様装束と髪をした彼女はそりゃあもう愛らしくも美しかったです。
日本髪と着物が似合う女性は大好きです。
姫川図書之助に宍戸開。
彼についてはあまり詳しく知らなかったのですが、この作品の中での彼は凛々しくも清清しい若武者がとってもお似合いでした。
「うわ、美形!」って思いましたもの。
薄役の南美江さんもなんとも上品。
上品といえば、腰元の皆様、全員美人で上品な方たちばかりで、女童3人も愛らしく、物語初めから眼の保養、耳の保養。
以前「楊貴妃」で侍女の衣装も髪型も全員一緒で云々と書きましたが、この作品ではそれが一向に気になりません!なぜなら登場人物が全て全て美しい上に着物も小物も極上だから!(てろてろと光る安っぽいサテンなどどこを探しても無いのですよ)

そしてついに天守夫人こと富姫様ご登場。
・・・・・・玉さま、綺麗ーーーーーーー!!
そんじょそこらの美女など顔色を失う程の美女ぶりはこの世のものとも思えません。
あの上品でいて浮世離れした艶と美ときたら、一目で魂ごと取り込まれてしまう程。
ただ、当たり前ですが声だけは「男性の出した女性の声」なんですよね。
初登場の出で立ちは原作のまま水色の衣に蓑。片手に竹笠。下し髪の艶かしい姿。
・・・ため息がでます。
そして私が感動したのは、その所作の美しさ!
何かの本で「もっとも女性らしい女性とは、女形が演じる女性である」と書かれておりました。
そして「楊貴妃」関連で纏足やら女性のファッションやらの事項を調べていた時に見かけた文章に「着物というものは元々体の線がでないので、女性の美とはその所作にあった」(リンクをたどりたどり行きついた先にあった文なので、もうどこで見かけたのかわからないのが残念です)というものがありました。
この二つの文章がこれでもかとばかりに眼前に。
歩く姿、座る姿、どれをとっても艶かしく美しいのですが、私が最も感動したのは、天守に奉られた獅子頭に向かって礼をする富姫の、その動作でした。
お辞儀があんなにも美しく見える動作だなんて、今まで一度として思いませんでした。

さすがは玉三郎監督作品。
セリフ一つとっても原作のまま。あの美々しいセリフがそのまま役者の口から紡がれます。

亀姫が遊びにきて、富姫と並んで上座に座り睦まじく会話をする様は眼の保養の一言。そして二人のかもし出す雰囲気がなにやら妖しく、禁断の世界をのぞき見るような心持ち。
そして亀姫の「お土産」の生首を舌長姥が舐め清めるシーン。
清めようとする舌長姥を止めようとする富姫がまた原作のままにきっと見て、続く「血だらけなは、なおおいしかろう」というセリフはさすが妖、人外といった、凄みまで感じさせます。
かというと、同じく玉さま演じる舌長姥の動きがまさに美味い血を舐めまわす、といったもの。
・・・すごいなぁ。

図書之助との出会いシーンと会話。
まだ薄暗い中、お互いに顔を見ておらず交わしている会話で図書之助の心根に惹かれていた富姫
、明るい灯火に照らされたお互いを見て一気に恋に落ちてしまいます。
ここらへんとか、ラストの桃六のセリフだとか、他作品にも一貫して泉鏡花の唯美主義ともとれる、「美しさこそ全ての価値!」のようなものが見れます。

全体を通して一部の隙も無く作り上げられた芸術作品。
ただ個人的に富姫の名文句、「千歳(ちとせ)百歳(ももとせ)にただ一度、たった一度の恋だのに」はもうちょっと魂切れる程に切なく言って欲しかった。
あんなに劇場的に言わなくても。
そこ以外は文句の付けようが無い珠玉の作品でした。
連続して「また見るーーーーー!!!」とすぐさま巻き戻して見返したのは一体いつ以来か。
「天守物語」が坂東玉三郎の当たり役だというのも頷けます。

あそこのTSUTAYAにはありませんでしたが、これはもう「夜叉ヶ池」も見なくては!!
どこかでレンタルしてないでしょうか?
いえ、一番良いのは玉さまの舞台を観にいくことなのでしょうが・・・

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「ガンダーラ」

ガンダーラ DVD ガンダーラ

販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2001/03/23
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TSUTAYAが全国的に旧作半額サービスを始めた(1週間限定)ので、初日である金曜日、早速行ってきました。
渋谷はやはり長蛇の列。それでも近所のTSUTAYAには絶対おいてないようなマイナーな作品やらカルトな作品、古い作品が置いてあってしかも地下には本屋もあるのでお気に入り。
この機会に近所では貸し出していない作品ばかり借りてきました。

まずは「ガンダーラ」(La Planete Sauvage)
フランスはルネ・ラルー(Rene Laloux)監督&脚本、原作ジャン・ピエール・アンドレヴォン、音楽ガブリエル・ヤーレ(Gabriel Yared)。1987年の作品。
幼い頃、偶然テレビで見かけたこの作品、日本のアニメではありえない色彩感覚とキャラクターが記憶にこびりついていて、一度最初から最後まできちんと見てみたいとずっと思っていた作品です。
いかにも外国アニメである、人物やキャラクターの見かけ。陰影もほとんど無いのっぺり塗り。
昔の作品であるから仕方がないとはいえ、最近の日本のアニメの絵のクオリティの進歩ぶりと比べるとまったくの別物です。
ただ、近景はともかく遠景の背景は素晴らしい。
あれは絵画ですね。
ストーリーは全体を通して淡々と、といった感じ。
振り返ってみてみれば強引な展開は多々あった気もしますが、あまり気にならなかったです。
むしろ「スチームボーイ」を見た時よりもよっぽど話が練られていて素晴らしいと思いました。
時間の予言なんて思わず巻き戻したぐらい最初よくわからなかったのですが。
敵であるメタルマンがどうやって動いていたのかもわかりません。
頭部に司令塔であり心臓部である核のようなものがあるくせに、夜間にはとりはずし、朝になると動力が通ってないはずの腕が動いて頭部をまた胴体に乗せる。しかも胴体は空洞なのに。
話をストーリーに戻しますが、この作品のメッセージや監督が言いたかったことは社会風刺もあり、人間の愚かさでしょう。
基本的には個人主義VS全体主義。
まだまだベルリンの壁も健在、冷戦も終わってない時代の作品ですし、そこらへんの歴史背景もあるでしょうが、やはり一番の奥底にあるのは人間の愚かさですね。
光があるところには影が必ずできる。しかし光は自分で作り出した影を省みることはなく、目をそらし、後でしっぺ返しを食らう、と。まぁそんな感じ。
ところでこのストーリーだと未来は完全に変わって歴史そのものが変わっていくのでしょうね、この世界は。
ネタバレしてしまうと、現在である過去を守るために未来を滅ぼしてしまうわけですから。
ああパラレルパラレル。
大筋の話をそれてみますが、主人公とヒロイン。
出会いはともかくとして、「君たち一目ぼれっすか?」
出会ってちょっと喋って、すぐ一夜を共にするなんてヨーロピアンな行動はシェイクスピアの時代から変わってないのでしょうか。
お互い好みの美形だったんだね。やっぱり人間見た目が勝負だと痛感します。
だってこの二人、「ちょっと喋って」の会話は状況把握のための会話だけですよ?お互いの心情やら性格やらは詳しく知りようも無い。それなのに状況把握の会話の締めが「そして恋におちる」。
・・・すみません。理解できません。
そういえばどこかの感想サイトでも書いていましたが、この作品の主人公は昨今の映画などでよく見る超人的なヒーローではありません。
最初から最後までただの人間でした。
超人的な力や能力を持つでもなく、知恵に優れたわけでもない。
「我々はもう、戦いの仕方も忘れてしまった」と大臣?が言っているような平和に慣れきった世界としては彼は英雄にふさわしい行動力を持っていたのかもしれませんが。
細かいことを言ってしまえば、演出とはいえ、金属性らしき床を底の固い靴を履いたままで駆け上がって敵に感ずかれないはずがないのに、堂々とやってのけるところが配慮に欠けている。

蛇足ですが、この作品、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌のスタジオで作られたそうです。
・・・よく作れたな。こんな反共産的な作品。

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「じゃじゃ馬ならし」「楊貴妃」「コードギアス」

皆様、GWはいかがお過ごしでしたでしょうか?
私は家でのんびりとDVD三昧の日々でした。
例によって例のごとく近所のTSUTAYAで借りてきた旧作を。
今回はエリザベス・テイラー主演の「じゃじゃ馬ならし」と「楊貴妃」の1,2巻。ついでにあちこちで見かけるので「コードギアス」も1本。
クラッシックに史劇ドラマにアニメと見事にジャンルがばらばらですが、まぁいつものことです。

まずは「じゃじゃ馬ならし(The Taming of the Shrew)」。
シェイクスピア原作、1967年フランコ・ゼフィレッリ監督。
エリザベス・テイラーとリチャード・バートンが主演という豪華なキャスティングに、それに勝るとも劣らない衣装と背景。
あの袖のふくらみ具合といったらすごいものがあります。
じゃじゃ馬娘のカタリーナの暴れっぷりを演じるエリザベス・テイラーはすさまじいです。この演技がまた合っているんですよ。
ですがさすが彼女はやはり女王様です。
結婚式の花嫁衣裳に改めた彼女の美しさと存在感、そしてあたりを睥睨するかのような威厳っぷりはヨーロッパ版のクレオパトラでした。
片田舎の城主の妻なんかに納まりきれるはずがない。
この映画、でも面白かったのは結婚式が終わるまででしたね。
その後がいただけません。
女王さまに従順で貞淑な妻は似合いません。最後の「妻女としての美徳と心得」みたいなものを演説するシーンの、夫への挑みかかるような目。あれこそが彼女です。
ついでに夫役のリチャード・バートンの役どころも、途中までは金めあてで、お金持ちのカタリーナを「金さえもっていれば、性格、容姿などはどうでもいい」と、機転を利かせたセリフと強引な態度がとっても楽しかったのですが、結婚してから妻を従順な女へと調教(もうこう書いてもいいでしょう。なんと言ってもタイトルが「じゃじゃ馬ならし」なのですから)するための態度が酷い。
しかしこの調教方法は原作にもあるから原作どおりといえば原作どおり。
ただ、脚本が悪いのか演出が悪いのか、演技が悪いのか、どうもただの粗暴で無教養な男にしか見えない上に、ところどころに見え隠れする、どうにも厳格に妻を調教する強い男になりきれないそぶりや表情が話にのめりこむのを妨げます。
特にラストとか。
あれでは従順を装って、男を良い様に飼いならしているカカア殿下と、一見亭主関白のくせに、まるでお釈迦様の手のひらの上でいい気になっている孫悟空の関係です。
ついでにこの二人の結婚のきっかけとなった、妹ビアンカやその結婚相手となる男ルーセンチオはすっかり影が薄くなっていました。
あ、ビアンカって最初見た時思ったのですが、多分一番したたかで計算高いある意味女らしい女だと思いますよ。
相手によって態度を一切変えない姉のカタリーナの方が純粋でしょう。
そこがまたお互い嫌いだったんでしょうが。

楊貴妃
以前ブログでご紹介した「楊貴妃」とはまた違う作品です。
やはり製作は香港なのですが、2000年の作品。監督は梁宏發(カント・レオン) 。主演は黄祖兒(らしい)。
2000年に香港でTV放映されたそうですが・・・これを?深夜枠ですか?ひょっとして。
パッケージの裏の紹介を見て、「あー、日本にある香港ドラマとかって必ずHシーンあるよね(-_-)」とは思いましたが・・・
濡れ場シーンが長すぎ。
おまけに多い。
日本なら当然暗転になるシーンでアングルを変えて押し倒した(あんたさっき別方向に向けて押し倒してたじゃん)ところから本番が開始。
「もうそろそろ終わるだろう」と思ってもまだ続く。いい加減飽きて早送り。「・・・まだ終わらない」一体何分間濡れ場にとっているのでしょうか。早送りする時間すら結構長かったのですが。
半額クーポン使用だし、GWだからたっぷり時間もある、でもお試しだし・・・と2本しか借りなかったのですが、ほとんど義務感のみで見ました。
もう続きは借りません。
長い上に1本のDVDに2,3回はある濡れ場シーンを早送りで見ていると、「あ、このシーン使いまわし」とか、「この体位はまだ出てなかったな」とか妙に冷静に分析してしまうのは現実逃避なのでしょうか。
まぁエッチぃシーンに対しての不満はこの程度でやめておきます。

前回紹介した「楊貴妃」が良い人タイプの解釈なら、こちらは悪女タイプ。どちらかというと根本的な部分ではこちらの方が恐らく史実に忠実ではあります。
ちゃんと楊玉環は息子の妻だったし。
玄宗皇帝の祖母にあたる則天武后の役の人が美人さんでした。
さて、楊貴妃役の人ですが・・・
初登場シーンに白く煙るフィルターがかかっているのを見て思ったことは「幻想的に美しく見せようという効果もあるだろうが、これは多分に肌の粗を隠すための効果だろう」でした。
それからも顔の肌理がわかるほどのアップになると白のフィルターがかかり、ほぼ確信を持ってしまったのですが。
梅妃がきつめの美人さんなのですが、梅の花の花鈿(花子)を額に描いているのがわかりやすいです。
彼女には近寄ってもフィルターがかかりません(笑)回想シーンは別として。
衣装や美術が目的で見たのですが、あまりバリエーションは楽しめませんね。
舞姫たちの髪型をもっと詳しく見てみたかったです。ちなみに脇役は全員おんなじ髪型とおんなじ衣装です。
官服の官吏のみなさまはともかくとして、後宮で栄華を極めているはずの妃もほぼ着たきりすずめ&同じ髪型。
官女or侍女にいたっては全員似合うが似合うまいが同じ髪形に同じ衣装。お仕着せとはいえ、あの衣装はちときんきらしすぎのような気もしますが、彼女たちだって少しは髪型ぐらい変えていたでしょうに。
まぁ、ドラマ製作の経費削減&わかりやすさを目指したのでしょう(ということに)

「コードギアス」
アニメです。
エンディング曲が印象深いですが、とにかく歌いにくそうな歌でした。
絵は綺麗です。
話はまだ始まったばかりなのでなんとも。
ただ一つ強烈に思ったこと
「1本1話かよ!?」
・・・半額で良かった。
これならネットで1話ずつ見ても同じことかも。
でもとりあえず、これはまだ続きを借りようとは思いました。

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「カストラート」

昨日はアンジャッシュのコントのDVDと「カストラート」のビデオを見ました。
(ジャンルが大違い)

「カストラート」(伊Farinelli Il Castrato,英Farinelli)は実在したバロック時代のカストラート(去勢)歌手、ファリネッリことカルロ・ブロスキの伝記映画。イタリア、ベルギー、フランスの合作。1994年、ジェラール・コルビオ監督作品。

なにしろ現在では人道的理由からカストラート自体が存在しないので、この映画では歌の部分を高音域はソプラノ歌手ヴァ・マラス・ゴドレフスカ、低音域はカウンターテナーのデレク・リー・レイギンがを担当し、その2パート分の録音を音声変換し、男性の超高音域が歌われているように映像と合成されているらしい。
(ちなみに、このとき音声変換に使われたIRCAMのコンピュータは「Farinelli」と映画と同じ名前を付けられたそうです)

なにしろカルロ・ブロスキ、音域が3オクターブ半もあったという奇跡のような存在。
音域のみならず、その技術も素晴らしいものだったそうで。
実際にその歌声を聞いて失神する上流階級のご婦人方も少なくなかったという記録の通り、映画でも失神するご婦人がしっかりとでていらっしゃいます。

カストラートについての説明はあちこちのサイトでたくさん見つけられるので、こちらではあれこれ書きません。

正直ストーリーは兄が痛々しくて、ファリネッリも歪められた存在ゆえの悲哀があり、天から与えられたそのままの男性・女性では出せない奇跡の歌声に、打ちのめされるヘンデルと、あまり気持ちの良いものではありません。ほぼ悲劇です。その人々の苦悩が作品に厚みと奥行きを持たせているともいいますが。
しかし、歌は素晴らしいです!
まぁ最初は高音部がいくらコンピュータで合成したとはいえ、「これは女性のソプラノの歌声まんまではないのか?」と思ってしまいましたが、見続けているうちにそんなささいなことは気にならなくなりました。
音楽家、芸術家として幼い頃父に誓った「兄が作曲して、弟が歌う」ということすら切り捨てて、兄の楽曲に見切りを付け、敵であるヘンデルの楽曲の美しさ、素晴らしさに魅せられ、彼の作曲した歌を歌う。
 最初はブーイングの嵐だったオペラの客席は、ファリネッリの歌うヘンデルの楽曲に魂をゆすぶられ、最後には大成功を収める。
 この、最後に歌われたヘンデル作曲の「私を泣かせてください」のアリア。
 名前は知らないものの、有名な楽曲なので、皆さんも1度は耳にしたことがあるはず。
 このアリアに心臓がふるえ、涙がでそうになりました。
 女性のソプラノではだせない、男性のカウンターテナーにもたどり着けない、人為的に歪められた存在のみにしか出せない奇跡の歌声。
 この歌を聴くためだけに見ても価値のある作品だと思います。

記録に残っている上での歴史上最後の実在するカストラートはアレッサンドロ・モレスキ(Alessandro Moreschi、1858年11月11日‐1922年4月21日)だそうですが、彼の歌声は録音されたものが残っているそうです。
 その残っているものの中で可能なものが「The Last Castrato」というCDになっているそうですが、録音時、彼はすでに40代半ばで歌手としてのピークは過ぎ、音域の面からは最高音が20歳代半ばのE"'から、引退時の50歳代半ばにはG"へと衰えてしまったということ、さらに当時の録音技術面で雑音やトーンに問題があり、音質は悪いらしい。
 ですが、ぜひ一聴してみたいものができました。

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